「乙女戦士たち」
青山ブックセンターに行けば、当たり前の様に少女文化のコーナーがあり、乙女のカリスマ嶽本野ばらの新刊が出れば、平積みどころか嶽本野ばらコーナーまで出来てしまう。さらに休刊していたオリーブは復刊し、中原淳一、高橋真琴、高畠華宵など、多くの回顧展が何度も開かれ、時代はまさしく乙女ブームである。
と、言いたいところではあるけれど、この盛り上がりには、どこかしら閉ざされた空気が漂ってないか?“乙女”この可憐で美しい響きの言葉のその奥には、僕たちが抱く興味や憧れだけでは到底到達出来ない、深い闇が存在する。それを闇と言ってしまうことに多少の抵抗はあるんだけれど、それ以外に良い言葉が思いつかない。乙女、ガーリー、ロリイタ。彼女達は微妙にリンクしあいつつも、対立している。ややこしい話、ロリイタ一つとっても、色々と派閥の様なものがあり、それはもうとんでもないくらい仲が悪かったりする。まるで大人社会そのまま。それが現実なのだ。
乙女というキーワードが一人歩きしていくなかで、時に乙女は、ガーリーと同列で語られてしまうことすらある。しかし、乙女とガーリーは、その根本的な性質そのものから大きく異っている。ガーリーは趣味嗜好に限りなく近く、乙女は宿命に限りなく近い。可愛い格好をしていないと手が震えるんですと訴える乙女たちに、リストカッターが多いのも、その宿命の重さの現れに違いない。
ロリイタファッションは、鎧だとよく言われる。インタビュー本文でもふれているけれど、彼女達はつまり戦士なのだ。理解出来ない世の中、そしてそんな世の中にうまく対応出来ない自分自身と戦い続ける戦士。そう、ずっと戦い続けなければならないのだ。それが宿命。
乙女はブームなどと言って、軽々しく扱うものではない。自身への反省も込めて…。
六畳川 智人 |